そばの知恵袋

■'03冬号

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討ち入りそば

赤穂浪士47名が吉良上野介義央の屋敷に討ち入ったのが、元禄15年12月15日未明。
実はその前の夜に、そば屋桶屋十兵衛、またはうどん屋久兵衛の2階に義士が勢揃いし、縁起をかついで「手打ち」そばやうどんを食べたといわれています。
あくまでも巷説ですが、これにちなみ、毎年12月14日には、東京二島輪の泉岳寺や京都・山科の大石神社など、義士縁の地では義士祭が催され、そばが振舞われています。

 

 

「きつね」と「たぬき」

「きつね」というと、今では大阪の「きつねうどん」が一般的なようですが、油揚げを種に使うそばは、文献によれば大坂よりも江戸の方が古いようです。ただし、油揚げを種にしたそばのことを「きつね」と呼ぶのは江戸・東京で、大阪ではきつねそばのことを「たぬき」、京都ではきつねのあんかけを「たぬき」と呼びます。東京でいう「たぬき」は、天ぷらの揚げ玉を散らしたそばのこと。揚げ玉とネギ以外には種らしきものがないので"たねぬき"からたぬきになったとの説もあります。

 

品書きのはじまり

江戸時代初期のそば屋には、そば切りを汁につけて食べるいわゆる「もり」しかありませんでした。それをもっと手軽に食べやすくしたのが、汁をかけた「かけ」で、寛政の頃から「もり」と「かけ」が登場したようです。この「かけ」にいろいろな具をのせたのが加薬そば。幕末頃の記録に、あられ、天ぷら、玉子とじ、鴨南蛮など、そば屋の品書きが記されているので、そばの品書きは江戸時代の頃に確立されたとみられています。