三遊亭 司の「日日是遊有」

第五回目「都内寄席巡り」

この『日日是遊有』タイトルにあるように、落語のなかの笑いは、実にふとした何気ない日常にあるもので、寄席に行くと、これまた実にさりげなく、365日毎日々々昼夜問わず落語を演芸を見聞きできる。
寄席の笑いは、よく「十年一日」と揶揄されるが、この「十年一日」がとんでもなく偉大で、よくよく聴けば、同じ噺でも一席たりとも同じ高座に出会うことはできない。

なんてなゴタクはおいといて、きょうはわたしたちの大切な場所、寄席をご案内ィ。

で、寄席。ヨセ。
寄席ってなぁに?と、いう方にカンタンに説明すると、常打ちの落語専門の劇場。
東京の寄席は、およそ210年ほどの歴史があり、最盛期には町内に一軒、都内に300軒ほどあったそうだ。その寄席も、やがて映画館になり、その映画館すら街から消え行き、寄席にいたっては、新宿末廣亭、上野鈴本演芸場、浅草演芸ホール、池袋演芸場の四軒のみ。

池袋演芸場

私事だが、98年3月31日、池袋演芸場で初高座。
だからというわけではないけれど、池袋演芸場は好きな寄席だ。
もちろん、四軒の寄席それぞれよさはあるのだが、席数100席弱の池袋演芸場はマイクを通さず地声で落語が出来るため演者とお客さんに一体感が生まれる、よりライヴ感があるというのだろうか。
ただ、平日の昼間、お客さんが少ないときなど、慣れない方は逆にドキッとするかも知れない。
中堅から若手を中心に持ち時間が長いところも魅力だろう。

 

鈴本演芸場初高座の翌年に見習いが明け、正式に前座修業がはじまったのが、上野の鈴本演芸場。
鈴本演芸場の客席は少し暗め、じっくり噺を愉しめるような番組が印象的な寄席であり、毎週日曜日の午前10時から、われわれ若手落語家が四人でで木戸銭500円の『早朝寄席』も愉しめる。
終演後、池之端の老舗をめぐるも、アメ横で安酒に酔うのも…。

鈴本演芸場と、場所柄対象的なのが浅草演芸ホール。
今月、スカイツリーもいよいよ開業を迎え、浅草もまた一段と賑わいを見せている。そんな場所柄もあって、観光客も多く、バラエティに富んだ明るい番組にどこか懐かしさ、も。
上野がアメ横なら、浅草にはホッピー通りなる賑やかな通りも…って、どうしても飲むほうにハナシがいってしまう。が、もう一軒ご案内。

新宿末廣亭四軒目は新宿末廣亭。
寄席を三軒まわり、新宿についたのは5時過ぎ。
ん?写真を撮るには暗いかな?と、思いきや、どうだろうこの雰囲気。
灯ともし頃というやつで、なんといってもこの風情がたまらない。
楽屋も楽屋で火鉢があったり、客席には桟敷席があったり、寄席って空間を隅々まで愉しめるところだ。この新宿末廣亭では毎週土曜日の21時半から早朝寄席同様の『深夜寄席』も、こちらも500で。

心が揺さぶられるような落語や演劇、映画もいいが、普段着の落語や演芸もたまにはどうだろう。

そんなところが、寄席の魅力。
肩の力を抜いて、ふらり、と。

演者も肩の力、抜いてますから。

 

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カテゴリ三遊亭司の「日日是遊有」 | 2012. 05. 07. 13:29 |

第四回目「春のうららの隅田川」

佃育ちの白魚さへも 花に浮かれて隅田川
東京が江戸とよばれ、隅田川が大川とよばれていたころ、大川?隅田川でもシラウオがとれたということを識ったのは、幼い過日に耳にした三代目桂三木助の十八番『芝浜』のマクラでのこと。
いつもなら、ぶらりといくところだが、そんな大橋のシラウオよろしく、ゆらりゆらりと水辺から東京を。

本当の川遊びとなると、あのいかにも風情のある屋形船、と、こうなるのだろうが、浜松町・日の出桟橋を中心に「水上バス」の航路はいくつかあるのだが、きょうは隅田川ライン。日の出桟橋から吾妻橋のたもとにある浅草の桟橋まで隅田川をのぼる、40分の旅人に。

勝鬨橋日の出桟橋から浅草まで、13の橋がそれぞれ美しい姿をみせてくれるのだが、右手に晴海埠頭、左手に浜離宮、東京の台所・築地市場を見てまず最初に架かるが築地と月島を渡す、勝鬨橋。
隅田川に架かる橋のなかでも、とりわけて美しいこの勝鬨橋は、大変にめずらしい開跳式の橋。ようするに、おおきな船舶が航行の折、跳ねあがる橋。
今ものこる操作室などを見上げながら、この橋があがる姿はどんなに美しいだろう、といつも思うのだが、1970年以降晴海通りの交通量増加などを理由に開跳されることはなく、再び開くには何億円の費用がかかるとのこと。

その勝鬨橋をわたると、月島、佃島、石川島。
江戸時代には橋は三本しか架かっておらず、橋が架かるところにはいわゆる「渡し」があった。
佃煮の発祥・佃島にわたる佃島大橋ももちろん当時はなく「佃の渡し」が明石町とを結んだ。その渡し船が隅田川最後の渡し船であった。

永代橋「佃の渡し」と「佃島」を舞台にした落語に『佃祭』があり、佃祭りとは佃島・住吉神社の祭禮を指し、ここの住吉囃子は江戸三大囃子のひとつに数えられる。
そんな江戸情緒溢れる佃島一体も、いまやウォーターフロントの高層マンション群。江戸の長屋も、いまや随分とタテに伸びてしまったようだ。

そんなことを考えているうちに、航路もなかほど。
架け替えこそされたが、そこに江戸時代から架かる橋が、両国橋。
武蔵の国と下総の国に架かるところから両国橋。
古くから架かる橋だけあり、そこには歴史もドラマも沢山にあるが、落語に馴染みが深いのは、いまの隅田川花火大会の発端、旧暦の5月28日の川開きの晩、侍の一行と職人が威勢よく喧嘩する『たがや』の舞台が、この両国橋の橋の上。

箱崎ジャンクションにさしかかり、渋滞する高速道路を下から見上げているうちに、左岸を見るとずぅっと蔵を模した壁が続く、ようは、蔵前の地名の通り、当時の蔵の風情。
スカイツリー蔵前までくれば、浅草の桟橋も目と鼻の先。
一番最後にくぐるのが、吾妻橋。
人情噺の大作である『文七元結』『唐茄子屋政談』それぞれの噺で若者が身投げしようとするのが、この橋。
と、いうことは、そのころから架かっていた橋のひとつ。

その吾妻橋をくぐり、桟橋をおりると雷門があり、また、ビール会社の不思議なビルと目に新しい東京スカイツリー。
古来、橋はこの世とあの世をむすぶとされてきたが、それは過去と未来、江戸と東京でもあるのだろう。

さて、電気ブランでもひっかけて、花に浮かれて帰ろうか。

 

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カテゴリ三遊亭司の「日日是遊有」 | 2012. 04. 02. 12:08 |

第三回目「江戸のお花見ガイド 飛鳥山」

「花見ィ行ったンだが、もうすごい人でね、まるで芋を洗うよう、俺ァこりちゃった」
「で、花ァどうだったぃ?」
「花?はな?はなぁ…あったかなぁ」

桜並木どんなに時代がかわろうが、ヒトの造りってもんに大差ない。
花の下。人、ひと、ヒトの顔いろは、花も顔負けのさくら色。
あとひと月もすれば、上野のお山も賑わうことだろう。
その上野のお山。いまもむかしも桜の名所に違いはないのだが、寛永寺を中心とし、幕府の管轄だったこのお山、花見時分には庶民にも開放されたものの飲酒飲食はもとより歌舞音曲はNG。

それにかわった江戸の桜の名所が向島であり、御殿山であり、飛鳥山。

それらが桜の名所てよばれるようになったのは、八代将軍吉宗が江戸各地に花樹を植え、健全な娯楽、遊園地の設置に取り組んだのがはじまり。
徳川吉宗。あの松平健に似た、暴れん坊の将軍サマ。

お弁当江戸から二里?8キロ。
入谷にすら、商家の別荘が立ち並んでた時代の王子は郊外も郊外。

近くには名所・王子七滝があり滝野川が流れ、風光明媚な渓谷美がたのしめるうえ、飲めや歌えもOK。
『長屋の花見』ではないけれど、焼飯、つくしの佃煮、よめななどの弁当、酒肴を持ち寄り江戸の郊外へ一日がかりのお花見。想像しただけでもわくわくする。

京浜東北線王子駅から見える、こんもりとした森が『飛鳥山』

あすかパークレール真ん中を都内唯一の路面電車『都営荒川線』が通る、この王子稲荷の一帯が飛鳥山と呼ばれたのであろう。
ゆるやかな登り道があるが、駅前にはモノレール『あすかパークレール』があり、時代の変化を感じさせてくれるが、いつの時代も江戸っ子は新しいモノ好きである。
16人乗りの無人のモノレールが48メートル、高低差17.4メートルをわずか二分でゆるゆるあがると山頂。
山頂部にはご丁寧に「標高 二十五・四米」とある。
歌川広重『名所江戸百景』を見ると、このモノレールをあがったあたりから日光連山、筑波嶺が見渡せるのだが、いまは多分に漏れずビルばかり。
しかしながら、吉宗がここを遊園地に定め、日光東照宮参拝の折の休憩地にしたように山上は広大。

飛鳥山山頂「梅は咲いたか 桜はまだかいな」

と、開花までまだ間もあるが、この樹々を見るだけでも花見時分の賑わいが目に見えるようだし、花見小袖という着物を幕のかわりに吊り、おのおの芸を見せあった江戸時代のその囃子声が聞こえてくるようだ。
飛鳥山がいまにいたる桜の名所となるまでに、徳川吉宗自ら宴席を設け、名所としてピーアルしたというから畏れいる。

 

八代将軍は白馬にのった暴れん坊ばかりでなく、観光都市の先駆け、江戸のトップセールスマンでもあったのだ。

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カテゴリ三遊亭司の「日日是遊有」 | 2012. 03. 02. 13:46 |

第二回目「初午?はつうま」

お稲荷さん二月の最初の午の日が初午。
火事 喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬の糞と、江戸名物にあげられるなか、とりわけて商売屋であがめられるのがお稲荷さまで、そのご縁日が、初午。

ことさら、遊女三千人御免の場所、日に千両落ちたという吉原には街中に四カ所お社があった。
過日、その名残をもとめて歩いてみたが吉原神社に合祀されて跡形もない。
お稲荷さまのかわりに、弁天さまなら…まぁ、いいか。

三遊亭圓歌宅

大師匠圓歌宅にも棚と社があって、かつては賑々しく初午を祝ってたらしい。
なにしろ、『わたしたちの商売』、やることやったら、あとは神頼み。ただ、それだけ。

そんな想いでシャンと柏手を打つと、江戸の寒空が一瞬キリッとひきしまった。

 

 

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カテゴリ三遊亭司の「日日是遊有」 | 2012. 02. 01. 00:46 |

第一回目「手拭いとお年玉」

手拭い暴れ熨斗、獅子舞、火消の纏、芸名の意匠、縞、紋…、落語家としての第一歩、前座から二ツ目に昇進する時に染める手拭いは芸風同様、その色、柄とも実に様々。
数少ない小道具であるこの手拭いは、高座では財布や本や手紙になり、ついでにちっともウケやしない時には冷汗までふける。

正月初席。真打や二ツ目の落語家は、賀詞と共に手拭いを交わし、そこで修行する前座はさらにお年玉を頂く。前座として迎えた初めての正月初席。顔見世で出番の多い楽屋の様子には本当に感動したもので、初めて貰ったお年玉で買った鞄は衣装ケースとして今でも大切に使っている。余談だが、私の師匠歌司も、還暦を過ぎていまだに大師匠圓歌からお年玉を貰う、そんな世界。

手拭いとお年玉そうそう。お年玉のお礼について、正月早々お小言を頂戴したのは、亡き古今亭志ん朝師匠との最初で最後の出会い。小言より何より、指の動かし方から喋り方まで、あの「志ん朝」のまんまで、一瞬ボンヤリしたものだ。

今は労いと日頃の感謝と共に渡す側になったが、前座でも二年目、三年目となるといっぱしの芸人を気取るようになり、後輩たちとみな酒とよからぬことに消えていく、『お年玉』

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カテゴリ三遊亭司の「日日是遊有」 | 2012. 01. 05. 17:12 |
三遊亭 司のプロフィール
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