第四回目「春のうららの隅田川」

佃育ちの白魚さへも 花に浮かれて隅田川
東京が江戸とよばれ、隅田川が大川とよばれていたころ、大川?隅田川でもシラウオがとれたということを識ったのは、幼い過日に耳にした三代目桂三木助の十八番『芝浜』のマクラでのこと。
いつもなら、ぶらりといくところだが、そんな大橋のシラウオよろしく、ゆらりゆらりと水辺から東京を。

本当の川遊びとなると、あのいかにも風情のある屋形船、と、こうなるのだろうが、浜松町・日の出桟橋を中心に「水上バス」の航路はいくつかあるのだが、きょうは隅田川ライン。日の出桟橋から吾妻橋のたもとにある浅草の桟橋まで隅田川をのぼる、40分の旅人に。

勝鬨橋日の出桟橋から浅草まで、13の橋がそれぞれ美しい姿をみせてくれるのだが、右手に晴海埠頭、左手に浜離宮、東京の台所・築地市場を見てまず最初に架かるが築地と月島を渡す、勝鬨橋。
隅田川に架かる橋のなかでも、とりわけて美しいこの勝鬨橋は、大変にめずらしい開跳式の橋。ようするに、おおきな船舶が航行の折、跳ねあがる橋。
今ものこる操作室などを見上げながら、この橋があがる姿はどんなに美しいだろう、といつも思うのだが、1970年以降晴海通りの交通量増加などを理由に開跳されることはなく、再び開くには何億円の費用がかかるとのこと。

その勝鬨橋をわたると、月島、佃島、石川島。
江戸時代には橋は三本しか架かっておらず、橋が架かるところにはいわゆる「渡し」があった。
佃煮の発祥・佃島にわたる佃島大橋ももちろん当時はなく「佃の渡し」が明石町とを結んだ。その渡し船が隅田川最後の渡し船であった。

永代橋「佃の渡し」と「佃島」を舞台にした落語に『佃祭』があり、佃祭りとは佃島・住吉神社の祭禮を指し、ここの住吉囃子は江戸三大囃子のひとつに数えられる。
そんな江戸情緒溢れる佃島一体も、いまやウォーターフロントの高層マンション群。江戸の長屋も、いまや随分とタテに伸びてしまったようだ。

そんなことを考えているうちに、航路もなかほど。
架け替えこそされたが、そこに江戸時代から架かる橋が、両国橋。
武蔵の国と下総の国に架かるところから両国橋。
古くから架かる橋だけあり、そこには歴史もドラマも沢山にあるが、落語に馴染みが深いのは、いまの隅田川花火大会の発端、旧暦の5月28日の川開きの晩、侍の一行と職人が威勢よく喧嘩する『たがや』の舞台が、この両国橋の橋の上。

箱崎ジャンクションにさしかかり、渋滞する高速道路を下から見上げているうちに、左岸を見るとずぅっと蔵を模した壁が続く、ようは、蔵前の地名の通り、当時の蔵の風情。
スカイツリー蔵前までくれば、浅草の桟橋も目と鼻の先。
一番最後にくぐるのが、吾妻橋。
人情噺の大作である『文七元結』『唐茄子屋政談』それぞれの噺で若者が身投げしようとするのが、この橋。
と、いうことは、そのころから架かっていた橋のひとつ。

その吾妻橋をくぐり、桟橋をおりると雷門があり、また、ビール会社の不思議なビルと目に新しい東京スカイツリー。
古来、橋はこの世とあの世をむすぶとされてきたが、それは過去と未来、江戸と東京でもあるのだろう。

さて、電気ブランでもひっかけて、花に浮かれて帰ろうか。

 

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        カテゴリ三遊亭司の「日日是遊有」 | 2012. 04. 02. 12:08 |